私は現在55歳です。本当に幼かった頃は、ティッシュペーパーともトイレットペーパーとも無縁の生活でした。
それまでなかったものが、生活に入り込んだ!
自宅のトイレは水洗式ではなかったので、ちり紙(落し紙ともいったようです)を使っていました。鼻をかむのもちり紙でした。学校には、ちり紙を折りたたんで持っていったことを覚えています。ちり紙は1枚ずつ大切に使っていました。でも、今同じことを子どもがやったら、好奇の目で見られること間違いなしでしょう。
私も小学校の高学年になる頃には、トイレットペーパーを当然のように使い(クルクルと引き出せるので、よく使いすぎだと叱られました)、ティッシュペーパーで鼻をかむようになっていました。
それから年月は流れ、結婚出産を経験しました。長女のとき(1993年)はそれほどでもありませんでしたが、次女を生んだとき(1996年)には紙おむつの値段もかなり下がっていて、誰でも使うのが当たり前になっていました。たまに布おむつも使いましたが、どうしても漏れたりします。すると周りの人(主に夫)が汚いと騒ぐので、外出のときや自宅にお客さんが来るときは、紙おむつを使わざるを得ませんでした。
最初はなかったトイレットペーパーを始めとする紙製品が、ドンドン生活に入り込んで、なくてはならないものに変わっていったのです。
紙製品があるから、清潔な生活が送れる
今、夫はトイレットペーパーがなくても、自分の工夫で乗り切らなくてはダメだといっています。でも、私としては赤ちゃんのおむつから多少の漏れがあったくらいで、大騒ぎしていたくせに、と思ってしまうのです。私たちの清潔な生活は、使い捨てにできる紙製品で支えられています。それがないということは、清潔な生活を送れないということです。
普段なら多少のことは我慢ができる人でも、今は目に見えないウイルスに怯える毎日です。余計に清潔のことが気になるのではないでしょうか。
そして今は非常事態だから、トイレットペーパーやティッシュペーパーを使うのを我慢している人も(私も含めてですが)、この騒ぎが収まったら、また以前と同じように使うようになるはずです。
後戻りができないなら
清潔に関することは、後戻りができないようになっています。かつてはハンカチで鼻をかんで、またそれを洗濯して使うことが普通にありましたが、今それを許せる人は何人いるでしょうか。もう後戻りができないなら、別の道を探すことも必要です。トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくては生活できないと思っているなら、代わりに使えるものはないか、探してみる価値はあるように思います。
私の夫はこんなこともいっています。
お尻なんかキレイに拭けなくても、お風呂に入ればいいじゃん!お湯が出ているだけで、ラッキーだよ!
この言葉に、感じることは人それぞれでしょう。汚いなあ、腹が立つなあ、と思う人もいるかもしれません。でも、別の道を探すという意味では、この言葉にも一理あるのではないでしょうか。割れ鍋にとじ蓋を地で行く夫婦のたわ言と思ってくだされば幸いです。