我が家でのコロナ感染騒ぎが落ち着いて見ると、冷蔵庫の中が悲惨なことになっていました。それでなくても、年末は自分で購入したものといただきものが重なったりして、冷蔵庫の中が許容量を超えてしまうことが多いです。
いざとなったら、結構な期間食べることができた
私が料理もできなかったのはほんの2~3日でしたが、それでもしいたけが変色していたり、叔母手作りの白菜漬けがカビていたりと心が痛みました。料理をするようになってからも、すぐに食欲が回復したわけではなく、どうしても最初のうちはあっさりしたもの、簡単にできるものを作っていたため、元気なときに購入したものの、手が伸びない食材が出てきてしまったのです。
しかし、少し多めの食料品があったおかげで、私は療養期間中に買い物の心配をしなくて済みました。だから、備蓄というのは役に立つと思ったのですが、私は心がけて備蓄をしていたわけではありません。
普段からあまり買い物に行きたくないため、買い置きをしていたこと、いただきものの野菜などがあったことで10日くらいは買い物をしないで済んだのです(その間本当に私が動けなかったとき、娘たちに2回ほど、すぐに食べられるものをコンビニなどで買ってもらいましたが)。
普段はせいぜい5日ほどで買い物に行きますから、普段の倍の期間、食べることができたわけです。
備蓄を心がけている人はもっと大量の食品を持っているはず
備蓄と言えるほどではない我が家の状態でも、結構な期間を食べつなぐことができたのです。そしてその中にはムダにしてしまったものもあるわけです。新年早々、食べ物を捨てるのは本当に落ち込みました。そうすると、来るべき食糧危機に備えて食料を普段から備蓄している人たちはどうなんだろう?という疑問が私の中に生じてきました。
非常時に備えて、食料を備蓄している人は本当にそれを使い切れるのでしょうか。食べられるものを捨てない、というのは当然のことですが、これを考えながら多めの食品を備蓄し、管理をしていくのは私には荷が重いと感じた新年となりました。
食糧危機はずいぶんと取りざたされていますが、もし危機が来るとしたら、自分の家族だけの問題ではありません。食糧危機が来たとき、自分の家族だけは備蓄で生き延びられるから良いとは思えないのです。近所の人たちが大変な思いをしているとき、自分たちだけが備蓄の食料を食べていられないと私は考えてしまうのですが、考え過ぎでしょうか?
災害時に少しの間命をつなぐために備蓄をするというならわかりますが、食糧危機に備えた備蓄というのは限りがなくなります。誰でも自分がいつ死ぬのかわからず、結果としてどれだけの食料を備えれば良いのかわからないはずです。一生安心して暮らせる食料を備蓄するのは不可能ではないかと、私は思っています。
トイレットペーパーが消えたこともあった
こんなとき、私はかつてトイレットペーパーが品薄になったことを思い出します。
あのときも、間違った情報に踊らされた人々がトイレットペーパーを買いに走らなければ、品薄になることはなかったと聞きました。つまりトイレットペーパーの品薄は人々が作り出したものだったのです。あのときの品薄は1ヶ月以上続き、さすがに私も不安になりましたが、みんなが焦って買い占めに走れば、どんなものでも不足するのだと実感することができました。
食料を備蓄することが本当の食糧危機を招かないと良いな~、と思っている次第です。それにしても、今後ムダを減らすことと、身動きが取れなくなる危機(コロナ感染など)に備えることの両立を図るために、私もいろいろと考えたいと思います。
食料の輸入の方法なども考えなくてはいけないでしょうから、多分個人が考えるだけではダメだと思いますが…