あるブログを読んでいて久しぶりに母の最期のころのことを思い出しました。そのブログはちょっと紹介して良いのか私には疑問なので、今回はリンクを貼りません。ブログを書いておられる女性がおそらくガンで余命宣告をされており、今までに何度も危ないときがあったようです。
代わりに誰かが記事を書くのはあり得るのだろうか?
その度にブログを書いている女性のお母さんやご主人が代わって執筆をしているのですが、それが本当のことなのかよくできた想像なのか私には判断が付きかねるのです。代わって執筆をしているなら、その方のIDやパスワードをお母さんやご主人が知っていることになります。
それは私には考えられないことです。人間、いつ何があるかわからないため、私も自分が亡くなる前にはブログを何とかしなくてはならないと思っていますが、なかなかブログのIDやパスワードを家族に教える気にならないです。そんなことをしたら、自分の意識があるうちに内容を読まれてしまう危険があります。それはあまりに気まずいと思うのですが…
そしてブログ記事のタイトルの付け方が、ご本人とお母さん、ご主人ともにとても似ていることも、同一人物が書いているのではないかと思う原因になっています。ただ、これは本当のことなのかと疑いながらも、読んでしまう魅力もそのブログにはあるのだと思います(ブログ村でのランキングが急上昇しているブログなので、推測してみてください)。
セデーションという言葉に心が動いた
私がそのブログを読んで母を思い出したのは、ブログを書いている女性がセデーションを受けることになったと書かれていたからです。セデーションとは鎮静という意味で、薬の力で深く眠った状態にして、ガン末期の苦痛を感じずに済む処置のことです。
おそらくセデーションは最期のときまで続きます。だから、患者さんは基本誰ともコミュニケーションが取れなくなってしまいます。私の母の場合は入院してから急速に幻覚や幻視の症状が出てしまい、身体の痛みもひどかったので、すでに家族とはコミュニケーションが取れない状態でした。
私は母の苦しむ姿や、幻覚や幻視のせいで訳のわからないことを言っている恐ろしいような姿を見ていたため、病院に行くのも怖かったのですが、セデーションを受けて久しぶりに穏やかな顔をして眠る姿を見てホッとしたものです。
ブログを書いている女性はセデーションを受け入れ、今日の記事は再びお母さんが書いていました。安らかに眠っている顔を見て涙しておられるようです。
もう2度と思い出すことがないだろうと思っていたセデーションという言葉。私は本当かどうかわからないと言いながら、その女性の苦痛が和らぐことを願っているようです。同時に母のことを思い出して複雑な心境になっています。
本当のことってどこにあるんだろう?
考えてみれば、私のこのブログだって、本当のことだけを書いているとわかってもらえる方法はどこにもありません。ゆみこねこは子育て終了主婦といっているけど、本当は主婦じゃないかもしれない、子どもはいないかもしれない、女性ではないかもしれないのです。誰にも本当のことなんて確かめる術はないわけです。
あれ?じゃあ、そのブログのリンクも素直に貼れば良かったのかな…本当のことにこだわる私って、小さな人間なのかな?よくわからなくなってきました。