頑張ってしている家事が実は言い訳!嫌なことから逃げいているだけだと実感している

窓ガラス拭きをする女性 生活

そろそろ買い物に行って食料品を購入しないと、冷蔵庫がすっからかんになりそうです。前の記事にも書いていますが、私は最近物忘れが激しい上に、メモを活用するのも苦手です。買い物に行くのも苦手ですが、このような特性があるため、余計に買い物をするのが嫌なのでしょう。

まだ少し冷蔵庫に食べ物が残っている今日、余裕を持って買い物に行っても良いのではないかと思いましたが、結局面倒だし、午前中は天気が悪かったため行きませんでした。

買い物に行かなかったけど、こんなに頑張ったよ、と言いたい私

代わりと言ってはなんですが、午前中は窓ガラスを拭いたり、次女が好きな蒸しパンを作ったりしていました。そんなことをしているうちに、ふと気がついたのです。私がことさらに家事をするとき、結構な確率で家事を言い訳にしているということに。

別に今日のご飯さえちゃんと作っていれば、家族は冷蔵庫の中の在庫が少なくても文句を言ったりしないでしょう。しかし、私は言い訳がしたいようです。私は、家族が心の中では文句を言っていると思っているのかもしれません。だから、今日はガラスを拭くのに忙しくて、買い物に行けなかったんだよ、と言って家族の了承を得たいらしいのです。

実家の母も私が中学2年生になるまではほぼ専業主婦でしたが、今思うとやはり家事が言い訳になっていることがあったようです。だって子どもが家に帰ってくるときは、おかえりと言ってあげたいじゃないとか、食事は手作りで健康に良いものが必要だとか、掃除は毎日したいとかよく言っていました。母の家事は自分が外に働きに出ない言い訳だったと思います。

それに比べると私の言い訳は何とも次元が低いというか、こんなの言い訳してもしなくても、という感じです(買い物ぐらいサッサと行けという話になる)。ですが、家事はもともと人間が快適に生きるために必要なことです。何かの言い訳にはしない方が良いのではないでしょうか。

大切なことなのに、家事は立ち位置がハッキリしていない

本当に必要だからする、と思ってした方がどんな家事でも精度が高まるような気がします。それに言い訳や罪滅ぼしで家事をされても、された方はどんな顔をすれば良いのか、困ってしまうと思います。

ただ、私の実家に関しては、父が病気で倒れて働けなくなってしまったため、母が働くしかありませんでした。母は家事を言い訳にできなくなったのです。一切の家事は後回し、もしくはまだ慣れていない私が担うことになりました。

母は後に、一家に家事の専任者がいなくなるとは、こういうことなのだと思い知ったと言っていました。当時は今のように外食・中食産業が盛んではなく、母が働きに出たことで格段に実家の食事は手抜きとなり、家はどことなく薄汚れた感じになったそうです。言い訳のように家事をしていた母は、やはり生きる上で家事は欠かせないと悟ったわけです。

こうしてみると人間が生きていくために必要であるにもかかわらず、家事はちゃんとした居場所がないようです。家事は働いていないことの言い訳に使われるかと思えば、何かあるとすぐに後回しにされます。やらないとイライラしてしまうけれど、やらなくても誰も死にません。手抜きの食事を摂り、薄汚れた家で育った私も、私の弟も別に現在普通に生きています。

家事って何なんだろう?と最近つくづく思います。もっと極めれば、呼吸を何のためにするかと考えないのと同じくらい自然に家事ができるようになるのでしょうか。その方がムダな時間がでなくて良いと思います。できれば、言い訳のために家事をするのだけは止めたいな~、と今考えているところです。

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