夫婦の関係を長い間良く保っていくために、意識的に家庭内ですれ違うようにしている、と言っている女性がいました。年齢は私よりも20歳ほど上になるでしょう。夫の叔母にあたる人でした(直接夫の血縁関係があるのは夫である叔父の方でした)。
夫婦生活にすれ違いが必要?
この夫婦は2人で暮らしており、お互いに仕事に趣味にとそれぞれの時間を過ごしていることが多いように思われました。でも2人共定年退職をして、2人だけの時間が長くなればなるほど、うまくやっていくためには、意識的に離れる時間を持つことが大切だと叔母は気がついたのだそうです。
確かに常に顔を合わせていると争いが起きがちですから、離れる時間を持つことに私も異存はありませんでしたが、叔母は徹底しており、自分の生活は昼夜逆転させていると話していました。つまり、叔父がそろそろ寝ようかという時間に、自分は起き出すわけです。
我が家は夫婦で見たいテレビ番組が全く違うので、たまに夫が早く寝るとそれだけでうれしかったりしますから、私にも気持ちは理解できました。とはいえ、自分の生活を変えてまで、すれ違い生活を送るというのは、私には斬新に感じられたものです。
夫婦の行方は?
その後、叔父はガンになりました。誰にも知らせるなと言っていたそうで、いよいよ具合が悪くなるまで親戚は誰もそのことを知りませんでした。
延命治療などを一切拒否した叔父は今から5年前に亡くなりました。 葬儀も家族葬で行って欲しいという叔父の希望があり、甥である私の夫は参列しませんでした。ちょうど同じ頃に私の実母もガンで亡くなり、ガンという病気や自分の人生の終わらせ方に対して私もずいぶんと考えさせられました。私は叔父と叔母のやり方には、清々しと同時に少しの寂しさを感じました。
叔父と叔母のやったことは、まるで自分の配偶者や親戚を拒絶しているように思う人もいるかもしれません。だから私も清々しさと同時に寂しさを感じたのでしょう。
しかし後に叔母に会ったときに、私の夫はたくさんの叔父の思い出話を聞かされました。もうとめどなく思い出話が出て来て、なかなか帰ることができなかったほどだったそうです。
私にはできない向き合い方
私がどう思おうと、2人の思い出は溢れんばかりにできたわけです。そして叔母は最後まで叔父の意思を尊重して、言いつけを守りました。私なら、誰にも言うなといわれても、自分が非難されるのが嫌できっと親戚には知らせただろうし、延命治療も拒否はできなかったと思います。
叔父と叔母は最後まで独立した人間どうしとして向き合っていたのではないでしょうか。だから叔父はすれ違い生活を受け入れ、叔母は病気に対する叔父の意思を尊重したのだと思います。
この向き合い方を最後まで貫くのは、なかなかに大変なことだと思います。今の私は夫と他人のような、肉親のような中途半端な向き合い方をしているので、お互いに文句は言い合いますが、結局は楽なのです。
現在の様子は?
叔父と叔母には子どもがいなかったため、お墓も建てませんでした。樹木葬と言って、木の下の決まった場所に骨壷を埋めるという方法を取りました。この骨壷はある程度の期間が過ぎると土に還るため、そのあとにはまた別の人の骨壷が埋められます。
これなら叔母が生きている間は、骨壷に手を合わせることができます。骨壷が土に還った後は普通のお墓のように、手入れや補修の心配をしなくても済むため、叔母は安心していました。
その後叔母は叔父が趣味にしていた陶芸で作った作品を処分しました。会場を借りてすべてを販売したのです。販売で得た代金は東日本大震災で生活困難になった人たちのために寄付をしました。
そして叔父と2人で暮らした家を処分して、高齢者向けの賃貸住宅に入居しました。それが最終的に誰にも迷惑をかけずに済んで、自分の気持ちも楽なのだそうです。
結婚したから出会えた夫婦
今でも叔父と叔母のことを思うときに、寂しいという言葉を思わずにはいられません。自分が死んでしまえば、その後のことはもうわかりませんから、少しくらい迷惑をかけたって良いじゃないか、と思うことも私はあります。
ただやはり、2人の夫婦としてのあり方は、清々しくあっぱれだとも思います。この2人は夫の親族ですから、私が夫と結婚しなくては絶対に出会わなかった人たちです。結婚すると親戚が増えることで、トラブルが起こることもありますが、こんな出会いもあるので、結局収支はトントンになるのかな、などと考えています。