無意識の行動という言葉に惹かれて言の葉さんという方のブログを読みました。記事はこちらです。「毎日がつまらない時は「無意識の行動」が多く、自己コントロール感がないから(以下省略)」
私の場合、無意識が不安を呼ぶ
無意識の行動による弊害をいろいろと書いてあって(出しっぱなしや置きっぱなしが増えて家が散らかるなどは無意識の行動の弊害だそうです)、なるほどな~と思いながら読みました。これを改めることで、生活全般が丁寧になるという意見には私もうなずけます。
しかし、私にはもう1つ弊害があるように思えます。それはやったかやっていないか、わからなくなってしまうことです。
外出したときに、そう言えばガスの元栓をしめたっけ?とが、玄関の鍵をかけたっけ?と思ってしまうのは(私は結構あります)、無意識の行動の結果だと思います。家に帰るとほぼ100%、元栓はしまっているし、鍵もかかっています。
自分がこれらの行動を無意識にやっているため、自覚できていないのです。私はひどいときには掃除をしていて、ここ拭いたっけ?と思ってしまうことがあるのです。もう1度拭けば良いじゃないかと思われるでしょうが、そうやって何度でも拭いているうちに、時間がドンドン過ぎてしまうことがあります。
無意識を改めないと、いつまでも不安なまま
無意識の行動の尻拭いはキリがありません。人間は急に意識的に行動できないようで、尻拭いの最中も無意識なのでしょう。いくら拭いたと思っても、また、ここは拭いたのかと不安になってくるのです。鍵をかけたかどうか、何度も不安になるのも、同じ原因からだと私は思います。
私の母も自分が入院する際に、何度確かめても、家中の鍵がすべてかかっているか不安でなかなか出発できませんでした。こんなことが重なっていくうちに、生活を圧迫することもあるのではないでしょうか。
実際に私は、不安のあまり会社に行けずに、家に戻ったことがありました(そのときはアイロンのスイッチを切ったかどうかが不安になってしまったのです)。
私がやったこと
私は無意識の行動がいけないのだと考えました。
そしてそれを改めるために、何か行動を起こす際には、これから何をするのかを考えるようになりました。つまり、鍵をしめる時は『これから鍵をしめるぞ』と考え、拭き掃除をするときは『今日はここから拭こう』と考えます。
自分の行動を自覚しているため、〇〇するのを忘れたのではないか、という不安はだいぶ減ってきました。今でも不安になることはありますが、やはり無意識に行動した後に不安になっていると自分でもわかっています。きっと意識的に行動するというのも、癖のようなものだと思います。やっているうちに、いつも意識的に行動できるように、変わっていけるのではないでしょうか。
その上、先程の記事のように、自分で意識して行動することで、生活全般が丁寧なものになるのなら、一石二鳥ですから、嬉しくなります。
不安で何度も確かめたくなるというのは、強迫性障害などとも考えられます。実際に私はもう医師に相談するしかないと思ったこともあります(会社に行けなかったときとか…)。
本当にひどくなる前に、意識的に行動することで負のループから抜け出られるかもしれませんから、一度やってみても良いのではないでしょうか。
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