今朝、夫が虹が出ているというので見に行くと、大きな虹、それも二重になったものが出ていました。そう言えば去年もこの時期に虹が出たと思って、自分のブログを見返したところ、去年の8月18日に虹が出たと記事にしていました。
ちゃんと良いことはあった
夫がちょうど出張中で、弁当を作ることもなく、朝から虹の写真を取ることができました。朝から虹を見て、良いことがありそう(虹は縁起が良いそうです)と思ったものの、実際に良いことなんてなかったとも思っていました。しかし、よく考えたら、まったく良いことがなかったわけではないと思います。
あの後、私は念願の衣類乾燥機を買ったのでした。別に臨時収入があったわけではありませんが、夫が衣類乾燥機を買うのに賛成してくれたのが嬉しかったです。夫は出張中、会社の寮で生活しましたが、そこで自分で洗濯をすることの大変さがわかったようです。
そして、洗濯物が乾かないと、部屋中が洗濯物だらけになってしまうことや、嫌な臭いがついてしまうことなども、実感したようです。自分でやらないとあくまで他人事だったのでしょう。夫は部屋に洗濯物を乾していると、見苦しいだの、ジャマだのと文句ばかり言っていました。
その夫が乾燥機を買おうかと言ってくれたので、私はとても嬉しかった。これは十分に良いことです。問題はそれを忘れてしまう、私にあるような気がします。良いことはちゃんとあるのに、それを見ようとしないで、いろいろなことに文句を言っているのが私の生活で、そんなことをしていると本当は十分に良いことがある人生なのに、それを実感できないまま死んでしまうのかもしれません。
今日も良いことがあった
ちゃんと今回も、虹を見たら良いことがありました。実はずっと失くしたと思っていたものを見つけることができました。それが画像のボールペンです。実家の母が亡くなった後、片付けをしていたら、戸棚の中から未使用の状態で見つけたものです。
小さな字で「waterman」とロゴが入っています。細身ですが重さがあり、なめらかな書き心地が気に入っていましたが、2年も使わないうちに行方不明になっていたのです。それが今日、見つかりました。何度も探した、自分の車の中にあったのです。バッグのポケットに入れておいたものが、落ちて座席の下に入ってしまっていたようです。
不思議なのは、私もバッグのポケットから落ちたのだと考えて、同じ場所を何回も探していたのに、今までは見つけることができなかったことです。車検にも出していたのに、それでも見つかりませんでした。それが今日に限っては(買い物の荷物を降ろそうとしてトランクを開けたときです)ボールペンがキラリと光って、すぐに見つけることができました。
ずっと失くしたことを自分に言い訳していた
失くしたことを認めるのが嫌で、『あのボールペンはツイスト式ですぐに書けないから不便だった』とか、『ちょっと重いから、今のボールペンの方が使いやすい』などと考え、だから失くなってもどうってことはないと思い込もうとしていました。そうして、ボールペンを失くしたこと自体を忘れかけていたのです。
それが、今回久しぶりにボールペンを見つけて、とても嬉しかった。やはり私は失くして残念だと思っていたのです。ボールペンは私にとっては母の形見の品のようになっていたのでしょう。
そして、数年モヤモヤしていた気持ちもスッキリしました。自分で捨てたとか、人にあげたとかわかっていれば良いですが、失くしてしまったというのは、ものとの別れの中では良くなかったようです。
話が小さすぎて、伝わりにくいかもしれませんね。ボールペン1本見つかっただけで、こんなに喜んでも…って感じでしょうか。でも、本人が幸せならそれで良いのです。
私の他にも、今朝虹を見た方はいるでしょうか?何か良いことがあったでしょうか?良いことは紛れてわかりにくくなっているかもしれませんよ。