雨だから長女を駅まで送ったときに考えたこと・なぜ私は送り迎えが嫌いなのか

自家用車 家族

そんなにひどくはありませんが、今朝は雨が降っています。長女が仕事のため、最寄り駅まで車でおくってきました。私は娘たちが幼かった頃から車で送り迎えをするのが大嫌いです。かつてはこんな記事を書いたこともありました。

運転が嫌いで苦手というのも原因でしたが、もっと根深いところに原因があるような気はしていました。

自分は親に送り迎えをしてもらわなかった

私自身も現在住んでいる市内で育ちました。現在の自宅ほどではありませんでしたが、駅からは徒歩20分ほど、バスの運行もあまりない不便な場所でした。そして私が結婚するまで、実家では誰も免許を持っていなかったのです。

そのため私は通学、アルバイト、成長してからは通勤とすべて自分でルートを調べ、考えて行動してきました。雨が降ったから、誰かに何とかしてもらうということは不可能だったのです。周りの家庭も同じようなもので、たとえ自家用車を持っている家の子でも、送り迎えをしてもらっているのを私は見たことがありませんでした。

自分が歩んできた人生から、自分で考えて、自分の思い通りに通学や通勤をするのが成長というものだと私は思っていました。ところが娘たちが誕生し、成長しても、一向に成長してくる様子が見られません。娘たちは雨が降ったら、風が吹いたら親が送迎をするのは当たり前だと思っているようです。

我が家の近辺にはバスもほとんど通っていないため(1日1本になってしまいました…)、多少のことは仕方がありませんが、長女は来年で30歳になります。結婚も独立もしようとしないため、このままでは私が免許を返納するまで、娘たちの送り迎えをしなくてはならないかもしれません。

しかも長女は自動車免許を持っているのです。送り迎えをしてもらうのではなく、自動車通勤をして欲しいと思ってしまいます。

自分だけが損をしたと思いたくない?

人間はどうやら自分がしてきた苦労を下の世代がまったくしないのが気に入らないようです。このような状態では、自分がしてきた苦労は何だったのか、もしかすると無意味ではなかったのか、と考えてしまうのでしょう。私が送り迎えを嫌うのは、まさに自分がしてきたことを娘たちがしないのが気に入らないからだと思います。

私のこんな気持ちは気を付けないと人間関係を危うくすると自分でも思っています。自分がしてきた苦労を人も絶対にして欲しいと考えるのはおかしなことだと頭ではわかっています。それでも、モヤモヤしてしまうのは、自分だけが苦労(という程のことではありませんが)をして損した、と思いたくないのかもしれません。

もっとポジティブになれたら良かったが…

送り迎えはごく近くまでと思っても、行って帰ってくるとそれなりの時間が取られてしまいます。そして特に達成感もありません。それも私が送り迎えを嫌いな理由だと思います。

ここをもう少し、長女が安全に通勤できたから良かった、暑い(または寒い)ときに送ってあげられて良かったと思えるようになれたら、私も母親として成長が見込めたというものです。

こんな気持ちを抱えながらも、どこかで娘たちが大人になったら、すべては過去のことになるんだから、我慢しようと考えていました。生きていれば必ず子どもは大人に成長する、それまでの辛抱だと。

親子は親子?なかなか生活は変わらない

しかし、いくら年齢だけが大人になっても、子どものときと同じ家に住み、同じような関係でいると、生活はなかなか変わりません。そこで私は送り迎えの迎えは省くようにしています。自分で帰ってきてね、というのです。

娘にしても、迎えに来てもらうためには、何時頃に最寄りの駅に着くよとか、どこで待っているよと連絡をしないとなりません。それが結構面倒なようなので、迎えは省いても問題にはなっていません。こうして徐々に娘たちにしていたことを手放して、私も子離れができたら良い(遅い…)と思っています。

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