菅総理大臣が自宅療養者のために酸素ステーションを作る、と言い出しました。『これは一体どういうことだろう?』と怖くなってしまった人もいるのではないでしょうか。
なぜ酸素ステーションが必要なのか
先日の記事でも、母の闘病中の経験から、パルスオキシメーターで測れる酸素飽和度が90%を切るような状態は人間として普通ではないと書きました。
そんな状況の人が入院できないのは、とても異常なことですが、それを根本から解決するには時間と手間がかかります。多分医師も看護師もそしてベッドの数も急には増やせないからです。
だから、自宅療養中に呼吸が苦しくなったら、酸素ステーションに行って、とりあえず命をつなげということなのでしょう。家でなすすべもなく、苦しい思いを我慢するよりはマシなのかもしれません。
酸素ステーションは簡易的な設備ということなので、そこにずっといられるわけではないようです。しばらく酸素を投与されたら、またお帰りくださいと言われるのです。呼吸の苦しい患者さんは、また自宅に帰ってコロナだけでなく不安と戦わなくてはなりません。
先にやるべきことがあるのでは?
政府が一番やらなくてはならないのは、コロナには誰でも感染すると考えて医療体制を厚くすること、それができないのならコロナから国民を守るために、ロックダウン(もちろん補償もセットで)でも何でも行うべきではないでしょうか。
先程も書いているとおり、コロナの人のために病院のベッド数を増やすというのは、人手の問題で難しいのだと理解はできます。しかし、酸素ステーションも無人ではないはずです。運営するための人手は不可欠です。
また、酸素が必要な患者さんは自分でステーションに行くことはできないはずです。患者さんを搬送する人が必要になります。どちらにしても人手も費用も必要です。それなら、先にやるべきことをやらなくてはならないのでは?と私は思います。
酸素ステーションの本当の意義
酸素ステーションを作る意義があるとしたら、それで苦しい時をしのいでいる間に、政府が決定的な措置(例えばコロナ専門病院を作るため、治療薬開発のための時間稼ぎ)を行うことです。
酸素ステーションを利用している間に政府はこんなことをしますよ、だからどうか待っていてくださいと総理が国民に言えるようでなければ、最初から何も言わないで欲しいと思うのですが、皆さんは酸素ステーションについてはどんな感想をお持ちでしょうか。
酸素ステーションは窮余の策!
それにしても、入院が必要な人が入院できないのが当たり前になりつつあります。容態が急変して救急車を呼んだとしても、受け入れてくれる病院がないのが現実です。
かつて私の父が病気で倒れ、救急車を呼んだとき、受け入れてくれる病院を見つけるために、30分ほど自宅から出発できませんでした。そのときの絶望感とジリジリと焦る気持ちは今も忘れられません。
そんな思いをする人がこれ以上増えないように、政府にはお願いしたいです。酸素ステーションを作ったから、対策はしているなどと勘違いをすることがないように、気を引き締めてもらいたいものです。
やはり酸素ステーションはないよりはあった方が良いんでしょうかね?しかし、コロナが収束した後、施設はどうなるのでしょうか。何か別のことに使えると良いですね。