リワークが嫌でたまらない気持ち

兄弟が抱えるものは同じ

うつ病のために長期で休職している夫の弟。来年の3月には契約が切れます。

彼は会社の用意してくれたリワークプログラム(リワークとはreturn to workの略語だそうです。つまり復職するためのプログラムです)が嫌でたまらず、せっかく脳梗塞の発作から復帰したのに、現在は部屋に引きこもって生活しています。

リワークを嫌がる人は多い

前にも記事に書きましたが、リワークを嫌がる人は少なくないようです。職場の人間関係につまずいて、精神の病を抱えるようになった人にとって、リワークは再び嫌なことと向かい合うことに他ならないからです。

弟もいつまで通っても、主治医から復職へのOKサインが出ないため、自分はリワークに向かない、リワークに通っていると更に精神状態が悪くなると思い込んでいます。

リワークがなかった頃、精神の病で休職した中で、かなりの人たちが復職を焦り、精神科の医師に無理にでも診断書を書いてもらって復職をしていたそうです。そしてその中の多くが再び病を発症、休職へと逆戻りせざるを得ませんでした。そこでリワークが作られ、段階を踏んで社会復帰をするようにしたわけです。

私は実際にリワークを経験したわけではありませんが、リワークには疑似職場の面があるようです。そこで失敗しても、もう一度やり直せるのだという成功体験を積んで、職場復帰をすることで、実際に働き続けられる人が増えたと言うことです。

リワークは悪くない、嫌なのは自分が回復していないから

つまり、リワークがそこまで嫌だというのは、まだ精神が元に戻っていない証拠のように私には思えます。

弟は自分の精神の病のために、職場の人たちにも不快な思いをさせたようです。職場では弟が精神的に落ち着いて、他の人と協力しながら働けるようになって欲しいと考えて、リワークプログラムを用意したのだと思います。

私のような部外者が思うことが、頭に浮かばないのも、弟が本当には回復していない証拠ではないでしょうか。

体のリハビリも同じだと思う

私の父は49歳のとき、脳出血の発作で倒れて、言語障害と右半身の麻痺が残りました。リハビリは父にとってとても苦しいものだったようです。麻痺している右手を動かすことには痛みも伴ったでしょう。そしてリハビリは、ときとして目に見える効果がないように思えます。

父は次第にやる気を失い、リハビリに身が入らなくなりました。とうとう右手を使うことは諦め、左手だけで亡くなるまで生活しました。父は最後まで左手にスプーンを持って食事をしたのです。

体のリハビリも、自分が病やケガでどれほど変わってしまったのかに向き合う作業だと思います。嫌でもリハビリをしていると、それまでできて普通だったことができなくなっていることを痛感するからです。

そんな作業が楽しいはずはありません。しかし、それが辛いからと目をそむければ、その後に重荷を背負うのもまた自分です。

私はリワークが嫌だと言っている弟が、父と同じことをしているように思えて仕方がないのです(もちろんその人の病気の状態で、リハビリをしても回復が限られている場合はあると思います)。

諦めるのは残念過ぎる

弟は脳梗塞の後遺症で自力での歩行が困難になりました。一時は歩行器を使うようになるかもしれない、と言われていたのです。それでもリハビリのおかげで、現在はほぼ一般の人と変わらない状態になりました。

リハビリはきっと苦しかったに違いありません。退院する時は、病院の職員の方々が「本当によく頑張りましたね」と笑顔で送ってくれたのです。

そんな体験がありながら、なぜリワークだけは切り離して考えてしまうのか、私にはわかりかねます。本当に残念ですが、私の実の弟ではないので、誰も私には意見を求めていません。

でも、私は弟に、リワークが嫌でたまらない気持ちと向き合って欲しいと思っています。その先にきっと道が見えるはずだから。

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