先日、まったく着ていないのに17年間持ち続けたTシャツを捨てました。私が住んでいる地域では衣類は資源ゴミとして回収してくれるため、ただゴミとして捨てるよりは後ろめたくないかもしれません。
捨てられなかった理由・長女が買ってくれたから
なぜ着ないTシャツを捨てずに、こんなに長い間持っていたのかというと、長女が私のために買ってきてくれたものだったからです。長女が中学生になって、初めて友だちと服を買いに行きたいと言い出しました。そこはTシャツが一着300円から500円で買えるような店だったのですが、そこに行った長女は自分だけが服を買うのが悪い気がしたと言って、私のために一着買ってきてくれたのです。
「ママはいつも地味な色を着ているから」と黒と灰色のものを選んでくれました(画像は実物を撮影したものです)。ただ、そのTシャツは襟ぐりが大きく開いていて、17年前でも私は着ていて落ち着かなかったです。何とか着ようとしたのですが、17年前でも落ち着かなかったものです。日が経つにつれて、もっと落ち着かなくなり、余計に着られなくなったのです。
そのTシャツを見るたびに、いろいろなことを考えました。友だちと買い物に行っても私のことを考えてくれる長女の優しさ、そのTシャツを着て嬉しいと素直に言えない私の心の小ささなどが突きつけられるようで何とも複雑な気持ちになったものです。
母も同じ気持ちだったのかも…
この17年の間に私の母が亡くなり、片付けをしたところ、かつて会社員だった私が母の日に贈ったのであろうブラウスやバッグなどが、まるで手つかずのままの状態で出てきました。それを発見したときは『お母さんは私があげたものが気に入らなかったんだな』と思い、寂しいような腹立たしいような気持ちになりました。
しかし、よく考えてみると母も私と同じ気持ちだったのかもしれません。私が母に贈り物をすること自体は嬉しくても、贈られたものはどうにも自分で使う気にはなれなかったのかもしれません。私は長女の気持ちがとても嬉しかったし、私のために考えて贈り物を選ぶほどに成長したこともまた、嬉しかったです。
母の気持ちは今となってはわかりません。母が私と同じ気持ちだったという証拠はないですが、じゃあ全然違う気持ちだったのかというと、またその証拠はないのです。だから私は私の都合の良いように、母も私が贈り物をした気持ちを大層喜んでいた、と思うことにします。
今ここでお別れした理由
もう、長女も30歳になりました。Tシャツを17年持ち続けたことで、長女の気持ちに少しは報いることができたでしょうか。できたのだと信じて、Tシャツとはお別れをすることにしました。もし私がこの世を去った後、片付けをしている長女がTシャツを見つけて、いろいろと考えてしまうことを避けたい気持ちもありました。
普通、私はタオルやTシャツは手頃な大きさに切ってウェスとして使い切ります。しかし、ハサミを入れるのはとても忍びないので、今回は資源ゴミの袋にそっと入れたのです。こうしてブログ記事にすることも、Tシャツへの供養になるような気がします。
まあ、着るものは好みがあるから本人に任せた方が良いんですよね(これは母も言っていました。今更ながら私も反省します)。自分で買ったって失敗するんだから。長女もあれ以来着るものは買ってきません。今はもっぱら食べ物になりました。