早いもので1月も2週目に突入しました。もう、初詣の話は遅いかもしれませんが、私は地元の神社に対して、今回疑問を感じたので、このブログに書いておきたいと思います。
神社は自粛しない?
私が住んでいる埼玉県は、東京に通勤通学する人も多く、コロナもそれなりに多く発生しています。だからこの1年、自治会でも学校でも私生活でも、さまざまな行事が中止や延期に追い込まれました。私のように、面倒がなくなって良かったと思う人ばかりではなかったでしょう。
残念な思いや悔しい思いをした人もいたはずです。ところが、そんな世の中の流れに逆らうように、地元の神社は暁参拝(元旦午前0時から午前2時頃までの初詣)を感染防止対策をした上で、例年通り行うと発表しました(自治会の回覧板を使って告知されました)。
私の夫は地元のお囃子に参加しているため、毎年大晦日の午後10時頃から祭り囃子を行うために神社に出かけています。しかし、まさか今年もやるとは思ってもみなかったようです。夫は「こんなときにお囃子だってよ!」と文句を言いながら出かけて行きました。
感染防止対策として、手水舎(手を清めない)や鈴緒(鈴を鳴らさない)の使用は禁止され、お神酒や甘酒の振る舞いは中止されましたが、お焚き上げや御札、お守り、縁起物の授与は例年通り行われました。
手伝う人の負担を考えると…
これは神社の対応としてはどうなんだ、と思わずにはいられませんでした。私は過去に1度だけ暁参拝に出かけたことがありますが、とても寒くて毎年行こうと言う気にはなれませんでした。夜中のお参りが昼間とは違った気分で楽しいと感じる人には良いでしょうが、私にとっては苦行にしかならないものに感じられました。
地元の小さな神社なので、お焚き上げの受付や御札などの授与を担当するのは、氏子の人たちです。私が住んでいる地域では自治会員が1つの神社の氏子ということになっていて、自治会費と一緒に春と秋の祭礼のときにいただく御札の代金を払っています(現在では氏子にならないことも認められるようになっています)。
氏子になると自治会の仕事と同じような感覚で、神社の行事係というのも回ってきます。それが回ってくると、自治会の班長が地区の体育祭の手伝いをするように、暁参拝の手伝いをしないといけないのです。
その上、正月三が日も行事係は御札などの授与を神社で手伝うそうです。私にはかなり負担が大きいように思えます。コロナに罹らなくても、カゼは引きそうだと思います。
神社は人も呼びたいし、お金も落としてもらいたい
初詣はもともと自分の地元の氏神様にお参りをするものでしたが、いつしか皆大きくて有名な神社に行くようになってしまいました。コロナをきっかけに地元の神社に戻ってきた欲しいと、神社側は考えているのかもしれません。
しかし、人々を呼び戻すのは、もう少し先のことだったのではないでしょうか。
確かに片田舎の神社に人が集まっても、たかがしれているのかもしれませんが、小さな神社に寒いときに人が集まれば、どうしても密集が生まれるのではないでしょうか。それに、寒い思いを我慢していると、免疫力も下がってしまうそうです。それがコロナやインフルエンザ感染のきっかけになってしまうでしょう。
今回の暁参拝のことで、小さな神社にもいろいろな思惑が絡んでいるんだと実感させられました。今回神社ではコロナ禍に乗じて、あまびえ様のお守りまで作ったそうです。何だかご利益が小さくなってしまったような気もします。
神社の伝統が大切ということなら、昼間の行事でも十分だと思います。暁参拝というのは、戦後になってから流行した新しい参拝の方法だということです。昼間よりも夜のほうが人が集まるから、暁参拝をしたように思えてなりません。
結局人は人が大好きで、人のお金も大好きということでしょう。神社も例外ではありません。コロナだからといって、それをすべて止めることはできないのです。人とコロナの根比べというところに今は来ているようですね。
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